30年前の本 ──古(いにしえ)をもって鑑(かがみ)とせよ──

出版業界で企画やマーケティングに携わるようになって、もう15年以上になります。その間、500円の実用書から、数十万円のレポートまで、様々な出版企画に関わりました。最近思うのは、昔の人は使う言葉が骨太だったこと。読んだ本の奥付を見るとほとんどが初版1980年以前の本です。

それらの特徴は、①時間の経過の洗礼を受け、今もなお価値を失っていない ②血の通った言葉で書かれている ③言葉の裏に思想や哲学が感じられる、ということです。

しかし、いま世に出ている多くの本はこれとは逆。つまり「読みやすくて、サラサラ読める」「やたらと太字で強調、しかし浅薄」「行間がなく、アタマに刻み込まれる感覚がない」のです。「頭で分かるのではなく、腹で分かっているか?」と問いかけたのは松下幸之助ですが、ビジネスマンとして理解の深さを試されている感じがします。なぜ、そうなってしまったのでしょうか?

それを少しでも読み解くため、古の智慧をコラムで書き綴っていきたいと思います。30年前。日本がまだ発展すると信じられていた時代。本にも積み上げた自信と躍動感があったと思います。

 

 仕事がら、いろんな企業を訪問しますが、創業者で威勢のよい営業マンタイプの社長がいる会社は、ほぼ間違いなく「守成」が苦手です。営業が得意なので、守り(社内の管理など)が苦手なのは当たり前としても、勢いだけで拡大しても早晩行き詰るでしょう。先日訪問した会社でも、わずか2時間程度のミーティングの間に、「○○くん、アノ資料持ってきて! この案件をまとめた資料ある?」と何度も部下を呼びつけてはたらいまわし。いくら社長とは言っても、部下を雑用で振り回しているありさまを目の当たりにすると、中小企業では、帝王学もへったくれもない(笑)感じたものです。

 この「貞観政要」は、中国のはるか昔「唐王朝」の初期の時代に、基盤を固めた名君太宗(たいそう)が重臣たちと語り合った内容を、治世の要諦としてまとめた書物です。日本では鎌倉時代に、北条政子が執権政治の基礎を固めるために、わざわざ学者に命じて和訳させたと言われています。また徳川幕府300年の基礎を固めた徳川家康も、この書を愛読し、足利文庫を通じてこの普及に努めました。

 草創と守成はいずれが難き? 企業でも、せっかく良いアイデアがありながら、内部固めができないためにつまづいてしまう事例が多くあります。草創が得意な社長が、守成にも能力を発揮するというケースはむしろ少ないのではないかと思います。

 本書の冒頭は、太宗がこう語ったというエピソードから始まっています。

 「君主たるものは、何よりもまず人民の生活の安定を心がけねばならない。人民を搾取して贅沢な生活にふけるのは、あたかも自分の足の肉を切り取って食らうようなもので、満腹したときには体のほうがまいってしまう。天下の安泰を願うなら、まず、おのれの姿勢を正す必要がある」。

  君主を社長に、人民を社員に、天下を企業に置き換えて考えると、非常に身につまされる話だと思います。中小企業のオーナー社長は、オーナーであるが故に、自分流に会社を操縦しようとしますが、それが会社の発展を妨げる遠因になっているかもしれません。

 太宗はまたこうも言ってます。「君主が道理に合わないことを一言でもいえば、人民の心はばらばらになり、怨嗟の声があがり、反乱を企てる者も現われてこよう。わたしはいつもそのことに思いを致し、極力おのれの欲望をおさえるようにつとめている」。

 本書では、名君の条件として「①わが身を正すこと ②臣下の諌言をよく聞きいれること」この2点を強調しています。背筋がピンと伸びるような、箴言にあふれた名著です。

 

 (早くもというか)30年前の本ではないですが(笑)、これからの時代に有効なコンセプトを提示していると思うので紹介させていただきます。企業において、いわゆる職務に人材をあてこむというのは、一般的な考え方であると思います。ところが(誤解を恐れずに言えば)、仕事の中にはオペレーションでできる仕事もあれば、特殊な技能や才能(タレント)によって初めて成し得る仕事が存在することも事実です。私の経験で言えば、いわゆるマネジメント職は、経験と学習を積み重ねることによって、必要な能力を身につけられると思います。しかし、研究開発やものづくりの現場では、自主的かつ継続的に鍛錬された能力が、すばらしい成果につながることが多いと思います。

 本書は、「臨床スポーツ心理学」の観点から、多くのスポーツ天才選手の思考と行動パターンを分析してきた著者による論考集です。かつて、多くの企業では、上司が設定した目標を着実に達成する「駒型社員」を量産することが最大の目標でした。いまでもその側面は残っていますが、変革が求められる時代には、多様な才能を組織全体で活用するタレントマネジメントが求められていると思います。

 児玉氏は、特殊な才能のなかでも、天才社員に焦点を当て、それを育てるための16のステップを提示しています。大きく分けると「持続力をつける」「没頭力をつける」「創造力をつける」「人間力をつける」の4グループで、それぞれに4つのタスクを設けています。

 ①持続力をつける4つのタスク

  ・小さなことから

  ・コツコツ

  ・忠実に真似る

  ・小さい目標設定

 ②没頭力をつける4つのタスク

  ・宣言・必ずやる

  ・プロセス管理

  ・内発的モチベーション

  ・集中する時間の確保

 ③創造力をつける4つのタスク

  ・プラス思考

  ・頻繁にイメージする

  ・直感を使う

  ・願望から信念

 ④人間力をつける4つのタスク

  ・危機管理

  ・回復力

  ・行動

  ・自己実現

 とこのようなステップになっています。

 重要なのは、このステップの中で「持続力」と「没頭力」を前提にしている点だと思います。創造性や発想は、ぽっと出てきて成果が上がるものではない。本人の資質もありますが、自主的なテーマで持続していること、それに没頭する時間が長いことが挙げられます。

 昔、将棋の米長邦雄さんが、一流の技術を身につけるには「5000時間から1万時間が必要」と言っていたのを思い出しました。1万時間と言えば、1日3時間を毎日続けたとして、1年間で1000時間、10年間でようやく1万時間に達する時間です。

 

 最近、「自制」という言葉がひっかかります。

 長らく企画や感性を重視した仕事をしていると、もっとも縁遠く、また遠ざけたくなる言葉です。人の欲望や感情にひっかけた商品づくりや販売促進を推し進めるあまり、「やりたいときに、やりたいことをやる」のを正当化してしまいます。古くなった感性をリストラし、常に新しい感性を求めるのは大事。何かを押さえつけていては、新しいものは生まれません。

 しかし、ことお金集めの話になりますと、そうは行きません。「入ってきたお金が、すべて使って無くなる」。「月収が10万円増えても、銀行の預金残高は変わりません」。これ、我が家の家計のありさま(笑)。普通の庶民の家計の状態も、だいたいこうだと思います。

 ところが、過去に「自制」を利かせて富豪になった人がいます。その一例として挙げたいのが、この『人生と財産』の著者である本多静六さん。あと一人が日本マクドナルドの創業者の藤田田さんです。藤田さんはどんなに家計が苦しいときでも、毎月5万円ずつ銀行に入金をしていたそうです。その習慣を20代から絶やさずに堅持して、30年後には数億円になっていたと言います。普通の人の感覚なら、(私はまさにそうですが)「銀行預金なんかより、もっといい運用方法がある」などの情報に乗せられて、あっちこっちに分散させたあげく、最後はパアにしてしまうかもしれません(笑)。もちろん「毎月5万円ずつ入金」するというのは、運用方法の選択なんかの問題ではなく「自分が決めたことをやりきる」という「自制」の問題です。藤田さんも、これは「利率」の問題ではない、「心を強くするためにやっているのだ」と言っています。藤田さんがやってきたことの実績を考えると、感性をリストラしている場合ではない(笑)という気がしてきます。いやあ、お恥ずかしい。

 さて、話を本多さんに戻すと、彼の自制の仕方も並みではありません。それを家族にも強いるあまり、こんなことも書かれてあります。「月末になると現金が無くなってくるので、毎日ゴマ塩ばかりですませたことさえある。それでも大人たちはなんとかなったが、頑是ない子供たちは正直だ。“お母さん、今夜もゴマ塩?”などと泣き顔をした」。

 これは「4分の1貯金」を始めた当初のころのエピソード。給料を40円もらったら、30円しかもらわなかったと思って10円を強制天引きする、という話です。「月末になると、毎日ゴマ塩?」(笑)というのは、悲しい話ですが、本多さんに言わせると「(子供が)かわいそうだなどということは、単に一時のことで、しかもツマラヌ感情の問題だ」と喝破しています。氏は、3年目にはこれこれ、5年目にはこれこれ10年目にはこれこれになる、という計算を働かせていたのです。 しかし、いろんな言い訳はできても、実行することは難しいし、またそれを何十年も継続するというのは、一種の才能でしょうか。

 これと同じような事例として、私の知り合いに渋谷でワインバーをやっているTさんの話があります。彼は、飲食店の経営を初めて数十年ですが、毎日その日の売り上げのうち2千円ずつを預金するそうです。売上の多寡に関わらず、毎日2千円です。雨の日も風の日も嵐の日も(笑)。さきほどの藤田さんの事例よろしく、この方は相当「心が強い」方だと思います。先日この店で仕事仲間と飲んでいた時に、「オレたちにはマネできないよなあ。儲かったらその分使っちゃうんだから(爆)」と本音を暴露しあったものです。

 この本の本多さんも、繰り返し書いている通り、この自制力を継続して発揮できることが、(稼ぎが多い少ないに関わらず)富を作るための最低条件だとか。身につまされる話です。

 

 本書は、私が最初に入った会社(PHP研究所)で発行している本で、当然のことながら(松下幸之助氏が作った会社ですので)慣れ親しんだ著書のひとつです。しかし、20代そこそこで読んだときに感じたことと、40歳をすぎた今では、感じることも理解の深さも違っていると思います。

 功なり名を遂げた経営者の言葉というのは、金科玉条のように一本立ちし、箴言集のようになっているきらいがあります。箴言集でも悪くはないのですが、キマりすぎて、それに至る過程が見えないというか、泥臭さが削ぎ落されていることがままあります。

 その点、本書には松下氏の「決断に至る軌跡や迷い」がエピソードの中に混じっていることもあって、松下氏の人間臭さがよく表現されている本です。中でも、第二章の「迷いと確信」という章に書かれてある、医者から「肺尖カタル」と診断された時の話に引きつけられました。「肺尖カタル」というのは結核の初期症状。当時、結核にかかると10人中8人が助からない時代です。特に松下氏の場合「上に二人いた兄がすでに二人とも結核で死んでいた」ということもあり、「これは自分の番がきた、来るものがきたな」と感じて重苦しい気分になったと書かれてあります。

 医者からは「3ヶ月ほど養生を」を言われたが、松下氏には帰る家もなく、両親も親戚もない。またお金も無かった。そこで氏が考えたのは、「どうせ死ぬのであれば、養生して寝ながら死ぬよりも、働けるだけ働いて死ぬほうがいい」ということ。「兄も二人結核で死んだのだから、自分もジタバタしてもだめだ。あきらめざるを得ない」と。ある意味、諦観の境地に至ったということだと思います。

 しかし、その結果はどうか。不思議なことに病気はそれ以上わるくならずに、そのまま仕事を継続したいくことができたようです。若いころ病弱だったという松下氏は、1年に何回かは病気で床について寝ることを繰り返しました。「自分は30歳、40歳くらいまで生きられれば良いほうだと思っていた」とのことですが、天命は氏に味方し続けたと言えます。

 本書にはさまざまな「決断のかたち」が示されていますが、何度も頭の中で反芻して熟慮を重ねた過程が記されています。この「病に伏した」時間の長さが、彼の思考を深化させ、より透明な心で決断にいたる土台を作ったのかもしれません。

 

 意思決定のメカニズムはどうなっているのか? 自分が下した意思決定は、果たして正しいものだったのか?そんなことを考えていたときに、あるコンサルタントから推薦されたのが本書です。

  失敗した事業を振り返ったとき、時計の針をある時点もまで戻してみると、「あのときのあの判断が間違っていた」と気づくことがあると思います。経営者だけでなく、事業のプロジェクトマネージャーでも「そうだよな」というつぶやきが聞こえてきそうです。そのときの判断は「ある人の助言」だったり、「自分の思いこみ」だったり、「大勢の意見に従った結果だったり」原因はさまざまであると思います。

 本書では、私たちが毎日考えたり、行動したりする過程は、「基本的欲求」→「関心事」→「意思決定」→「行動」というサイクルになっていると書かれています。その中で意思決定はブラック・ボックスで見えにくいが、思いだすことによって思考の手順を確認できるとも言います。私などは、感覚的に決断するケースが多く(笑)、基本的欲求や関心事に沿ってダイレクトに決断することが多い気がしますが、日常生活とは異なり、より精緻な決定プロセスが求められる場合はどうでしょうか。

 例として、3人で富士登山をしていて天候が変わったときにどうするか? 3者3様の対応が示されます。この場合、主観の相違とか、価値観の相違とか、ひとことでは片づけられない問題があります。「基本的な欲求の相違、感知センサーの相違、持っている情報の相違、経験の相違、性格・感情の相違、体調の相違、価値観の相違、直観の相違などが、そのつど複雑に影響を与えている」とのことです。重要で高度な意思決定になればなるほど、数多くの要因が関わり合いをもってくるため、もれなく、体系的に、重点的に、そして効率よく考えることが要求されます。このためには「思考の技術」が大切であるというのが、本書の主張です。

 


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